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2011年6月 4日 (土)

小田城をゆく

小田城は工事中であった。

JR常磐線の土浦駅で降り、バスで筑波山方面に向かう。

小田入口で降り、うなぎ店の脇を入った。

道は舗装されていて、黄色と緑の田畑が広がる。田んぼには水がある。少し行って左に折れ、筑波自転車道を渡って右に行く。

やがて道は用水路にぶつかり、用水路に沿って北西に進む。北側は城と思われ、前方にはこんもりとした林が見える。

右へ入城できるかと思われる場所に来たが、そこは工事用車両の出入口になっていて一般人は入れない。いやな予感がした。

仕方がないので道なりに進む。道はだんだん右に曲がっていき、右側に竹に覆われた土塁の名残を見たところで右折した。

天満宮には鳥居が建っておらず、境内に「大地震でいたんだので外した鳥居です。」とあった。

長久寺に入る。水路の上を通って境内に進む。左折して本堂に向かうと、右側に石造灯籠があった。茨城県指定工芸品で、鎌倉中期の傑作とのことである。寺の東側に残る水堀を見た。

それから龍勝寺を訪れ、北に向かうと筑波自転車道に出た。これを南東に歩くと、左側に隠れて水堀があった。さらに進んで、筑波鉄道旧小田駅の手前、左に広がる堀跡を見た。

旧小田駅から東に向かい、堀跡に沿って北に進む。

一旦、旧道に出て東に向かい、小田小学校へと下りてくる。小田小学校西側の土塁を見て、いよいよ本丸に向かう。

「国指定史跡 小田城跡」の案内板には、以下のようなことが書いてある。

小田城は一二世紀末に八田知家によって築かれた。四代時知に至り小田氏を名乗る。戦国時代になると、小田氏は佐竹氏、結城氏に攻められ、小田城の激しい争奪戦が続いた。小田氏治は永禄一二年(一五六九)の手這坂の合戦に敗れて土浦へ逃げた。佐竹氏は梶原政景を小田城代として守らせた。政景によって小田城は大規模に改修された。慶長七年(一六〇二)に佐竹氏は秋田へ国替されて廃城になった。

小田城は、本丸を中心に三重の堀と土塁に囲まれた平城で、約二一ヘクタールに及ぶ。本丸部分の約二ヘクタール程を八田氏の居館として出発し、次第に拡大強化された。南北朝に入ってから、居館から防御のための城郭へと転化した。戦国期の度重なる戦乱の中で戦闘用に強化された。更に梶原政景によって最終的に改修され、現在知り得る姿になって完成する。

が、本丸は「小田城跡を整備しています」とのことで、南西部分が「工事関係者以外立入禁止」の柵に閉ざされていた。「中世の小田城跡を体感できる歴史ひろばとして整備する計画」なのだという。

筑波自転車道を信田郭の先まで歩き、戻ってきて鐘撞堂のあった高台に上がる。堀跡を見下ろした。

高台を下り、曲輪Ⅴ方面に進んで本丸西側の土塁を見る。それから再び旧道に出て、延寿院、八坂神社、解脱寺とめぐり、本丸に戻った。

堀跡の田んぼを見ながら国道125号線を目指す。

小田今宿からバスに乗り、土浦駅で電車に乗って帰る。

本日、17625歩也。

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