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2010年9月 4日 (土)

掛川城をゆく

掛川城は東海の名城である。

新幹線の掛川駅で降りる。

駅前を北に進み、連雀西交差点の次の信号を右折して歩いて行くと、左側に復元された掛川城大手門が現れる。

案内板を読むと、元の位置はここから50メートル南側らしい。大手門から見る天守が一番美しいといわれるとのことで、この付近から大手門と共に天守を観賞くださいとあった。

門をくぐると右側に掛川城大手門礎石根固め石があり、番所がある。

「三光稲荷御由来」を読み、大手橋を渡らずに逆川沿いに左に戻る。桃色の花が咲いていて、花越しに天守閣と太鼓櫓を望む。絵になる光景である。

緑橋を渡り、松尾池跡を見て進む。

四足門へ登る石段の右に松があり、大きな石碑に「掛川城公園」とある。三日月堀を見て天守閣を望むと、手前の白壁の先に白亜の天守閣があって、これもまた絵になる光景である。

四足門をくぐると、右側に掛川城主要部の模型がある。三日月堀と十露盤堀を見下ろした。これは珍しいと思った。

案内板には以下のようなことが書かれている。

掛川城は、文明年間(1469~1486)頃今川氏の家臣が、掛川古城を築いたことに始まる。永正10年(1513)頃に現在の位置に移り、今川氏の遠江支配の拠点となった。永禄12年(1569)徳川家康がここに立てこもった今川氏真を攻め、長期にわたる攻防の末、掛川城は開城。家康の支配下に入った掛川城は、甲斐武田氏の侵攻を防ぐ拠点となった。天正18年(1590)豊臣秀吉は、天下統一を成し遂げ、脅威であった徳川家康の領地を関東に移した。さらに、家康の旧領地に秀吉配下の大名を配置し、掛川城には山内一豊が入った。一豊は、大規模な城域の拡張を行い近世城郭として整備し、この時初めて天守閣をつくった。その後、掛川城は徳川譜代の大名の居城として明治維新まで続いた。

太鼓櫓を見上げて本丸に入り、天守閣を見上げた。また、本丸には花広場があり、入って行ってデジカメで花を撮った。

入館券を買い、旗指物の並ぶ登城路を登る。何度も折り曲げた狭い石段は、敵の侵入に備え登りにくくなっているとのこと。

天守丸に入り、霧吹き井戸を見て、いよいよ復元された木造の天守閣を登る。石落としから石垣を見て、さらに上がる。最上階からは四方を見渡した。町と遠くの山々が見える。「日本百名城」認定証が掲げてあるのを見た。

二の丸に下り、重要文化財の掛川城御殿に入る。内部を見学し、御殿を出るときに「日本100名城」スタンプ帳に「42掛川城」のスタンプを押した。ついでといっては何だが、掛川城登城記念スタンプ帳にも天守閣と御殿のスタンプを押す。

御殿を出て庭を歩くが、ここからの天守閣も良い。絵になる光景である。

二の丸美術館には入らず、公園を出て城内公民館を右に行く。

掛川古城のあった子角山には龍華院大猷院霊屋がある。霊屋の周りをひと回りし、東側に下りて空堀を見た。

再び公園に入り御殿の井戸を見て、左に黒土塁を見ながら御殿の玄関に戻った。玄関から、今度は下りていき、はす池に向かう。はす池に真っ赤な橋が映えているのを見た。

はす池を後にし、城内公民館を今度は左に行く。城山を見上げて周りを歩く。

松尾橋の手前で城山に登り、再び本丸に立つ。天守閣を見上げ、四足門から下りて緑橋を渡った。

渡ってから、もう一度振り返って天守閣を望んだ。やはり絵になる光景である。

今度はまっすぐに歩いて掛川駅に戻る。掛川駅から新幹線に乗って帰った。

本日、12114歩也。

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