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2010年7月25日 (日)

沢村城をゆく

沢村城が入城を拒む。

東北本線の矢板駅で降りる。矢板から那須野に入る。

矢板駅前を右に進んで扇町交差点を右折、日光北街道に入る。線路を越えたところにある長峰公園に立ち寄ると、提灯が並んでいた。

中交差点を左折して国道4号線に入り、その先の中北交差点を右に進むと「澤観音寺直進2km」と看板にある。このあたりはまだ那須野の手前で小高い丘などがある。

道なりに進むと県道52号線は切通しに入り、人は車に遠慮して歩いて行く。

切通しを下りて抜けると田んぼが広がり、遠くに東北新幹線の高架が見える。江川という小さな川を渡った。

「圃場整備完成記念」碑の説明を読み、沢交差点を渡って新幹線の高架をくぐると交通量はめっきりと少なくなった。ほとんどの車は沢交差点を左に進んで行ったようだ。

まっすぐに歩いて行くと道の右側に沢の馬市碑があり、説明を読む。

左に曲がり、その先を右に曲がったところで、蓮池の先に金色に輝く観音像が現れた。

沢観音寺の駐車場には、澤村城主後八万石那須城主菩提所とあり重文澤観音の大きな石碑があった。「八代を承け一族にしたわるる澤村五郎まもる思慕山」と書かれた碑もある。

観音像に近づいて行くと「大慈母澤観音」とあり、さらに近づいて見上げる。右側には「澤村城址鷲山庭」の碑があった。

左に行って階段を上がり、本堂を訪ねる。曽良の句碑があるはずなので探したが、見つからない。本堂右奥の枯山水のさらに奥かと思ったが、前日までの雨を含んだ枯山水の地面に足跡を付けるのも憚られたため奥に行くのを止めた。

そして、いよいよ沢村城を登る。階段を下りて左に行き、墓地の裏から空堀を進むことにした。しかし、こちらも雨を含んで歩きにくい。が何とか進むが、少し進んだところで夏草が堀全体を覆って通れなくなった。奥まで覆っている。

仕方がないので引き返し、別ルートから登ることにした。駐車場まで戻り、県道52号線を少し進んで左に入り温泉神社に到達。ここから登ろうと思ったのだが、ここも夏草が繁茂していて登り口がわからず結局登るのは止めた。

沢観音寺の駐車場まで戻り、今度は右側に進んで箒川を目指す。河原に出ると沢村城は切り立っていて、こちらからは攻められなかったと思われる。

車道に上がり、箒川に架かる橋を渡る。橋は「かさね橋」といい、欄干には蕪村の画のレリーフが嵌め込まれていた。

橋からは展望が開け、田んぼが広がっていた。

田んぼの中の道をゆく。右側の田んぼの中に碑らしいものがある。このあたり、かつて薄葉が原の戦いがあったはずである。関連する碑かと思って近づいてみると、この地区の「圃場整備完成記念」碑であった。衆議院議員渡辺美智雄書の豊穣の文字が刻まれていた。

中薄葉交差点を過ぎ、まっすぐに進む。途中、道の左側に開墾記念碑を見つけ、さらに歩く。

道の左側に「那須塩原市」の標識があり、右側に石碑がある。渡って見ると、曽良の句碑であった。

かさねとは 八重撫子の 名なるへし

実取入口交差点を左折してライスラインに入る。ひたすら歩き、国道461号線を左に行く。途中、右に折れて、東北新幹線の高架下で少し休む。よく考えると、炎天下、これが唯一の休憩であった。

野崎駅に東側から入ろうとしたが道がわからず、途中声をかけてくださる人がいて、線路を渡ってやっと到着した。

野崎駅から電車に乗って帰る。

本日、21867歩也。「しっかり」も11284歩であった。

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