相模台城をゆく
相模台城は歴史の中にある。
先日、国府台城を訪ねた際、松戸で経世塚を見られなかったことが気になっていた。やはり聖徳大学の構内にあることがわかり今回訪ねる。
松戸駅で降りる。東口に出て階段を下りる。正面にイトーヨーカドーが見える。かなり前に所用でここを通ったときにはイトーヨーカドーはなく、山肌が見えていたような気がする。
イトーヨーカドーを右折し、千葉地検へ上がる道を左に見て進み、市民会館入口交差点を左折する。
高い建物が立ち並ぶ丘を左に見て歩く。教会を過ぎ、松戸拘置支所へ上がる坂道を見上げて、まっすぐに進む。国道6号線の下をくぐり、左に進んで6号線に入る。少し歩いて右に入り、下りて行って胡録神社を訪ね、手を合わせる。
国道6号線を少し戻り、谷へ下りていく。谷から松戸第一中学校へ上がって行こうとしたが、途中で先ほどの坂道が気に掛かり、結局松戸拘置支所へ上がって行った。
松戸拘置支所から相模台小学校の前を抜け、聖徳大学を目指す。大学のフェンスから中を見ると、土塁のような地形が見られた。
聖徳大学は女子大であり、断って入ろうとしたが守衛所も見当たらず正門前で少しうろうろした。近くの案内図で見ると守衛所は正門の左側少し隠れたところにあり、経世塚を見学したい旨伝えると、こちらですとのこと。さすがに女子大で、守衛さんも女性であった。
経世塚は正門を入ってすぐ左にあった。「松戸市指定史跡 経世塚」の案内板によると、天文七年(一五三八)十月七日、この相模台上で千葉生実の小弓公方足利義明と小田原の北条氏綱との合戦があった。結局戦は氏綱の勝利となり、公方義明と御曹子義純らはこの地に憤死。小金本土寺過去帳によると「千余人戦死」とあり、経世塚はこれらの戦死者を葬った跡と伝えられている。なおこの塚は事情があって昭和五十四年に現在地に移動したものである、とのこと。
「相模臺戦跡碑」があり、その左に塚が二つ並んでいる。石碑は、想像していたよりも小さなものであった。
正門を出て経世塚を後ろから見ようとしたが、生垣があってよく見えなかった。
松戸中央公園の奥には、「千葉大学工学部跡」、「陸軍工兵學校跡」の石碑があった。また公園入口近くには「相模台の変遷」として松戸市教育委員会の案内板があった。「この地、相模台は戦国時代の天文七年十月小田原の北条氏と里見氏等が合戦した(国府台の戦い)激戦地であるといわれている。その後この地は幾多の変遷を経て大正八年には陸軍工兵学校が開設されて以来太平洋戦争終結の昭和二十年まで存続し教育終了者は各所に配属され工兵の街松戸は、広く知られるようになった。公園入口の門柱と門衛は工兵学校当時のなごりをとどめている。」
この付近を歩いてみたが、普通は目にできない聖徳大学構内の経世塚を別とすれば、ここにかつて城があり大きな合戦があったことを示すものはこの案内板のみである。今や相模台城は歴史の中にのみ存在している。
公園入口で門柱と門衛を見て、松戸駅方面へ坂を下りる。このあたり、空堀跡だろうか。途中、相模台公園への上り口があり、上がっていく。公園からは松戸城方面を見渡せた。
公園を下り、戸定が丘歴史公園へ行こうかと思ったら雨がパラパラとやってきた。あわてて松戸駅に戻る。
電車に乗って帰る。
本日、10997歩也。


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